全国のファンが涙した「白い巨塔」の最終回。
特に財前の最後のセリフである「遺書」にこの物語の全てが詰まっていると言っても過言ではありません。
今回は、その「遺書」の内容を原作も含めて読み解いていきたいと思います。
財前五郎という医師がこの世にいたことを忘れないためにも、ぜひ最後までご覧ください。
【白い巨塔】財前五郎の最後のセリフ
財前五郎の最後のセリフはいわゆる「遺書」にあたるもので、クライマックスを飾るにふさわしい感動的なセリフでした。
その内容をシリーズごとにご紹介します。
1978年 田宮シリーズ
君の忠告に耳を貸さず、続時にとらわれて自身の内臓を犯しているがんに気づかず、早期発見を逸し手術不能のがんで死ぬことを、がん治療の第一線にあるものとして今深く恥じている
それ以上に、医学者としての道を踏み外していたことが恥ずかしくてならない
しかし、君という友人のおかげで死に望んでこうした反省ができたことがせめても喜びだ
あの美しいバラが病床をなぐさめてくれた
母をよろしくと伝えてください
僕の遺体は大河内先生に解剖をお願いしてください
後進の教材として遺体を役立てていただくことが、
医師の道を踏み間違えていた僕が教授として出来るただひとつのことです。君の友情をあらためて感謝します
「あの美しいバラ」は愛人が持ってきたものです。
この遺書には愛人やお母さんへの気遣いが盛り込まれ、財前という人間が本当は寂しがりやで優しい人柄であることを表しているのではないでしょうか。
このシーンの田宮二郎さんの死に顔は、化粧しているとはいえ目がくぼんで顔色もドス黒く、本当に死相ただよう表情でした。
エンディングのクラシック音楽も荘厳で怖いくらいでしたね。
2003年 唐沢シリーズ
里見。
この手紙を持って僕の医師としての最後の仕事とする
まず僕の病態を解明するために大河内教授に病理解剖をお願いしたい
以下に、がん治療についての愚見を述べる
がんの根治を考える際、第一選択はあくまで手術であるという考えは今も変わらない
しかしながら、現実には僕自身の場合がそうであり、発見した時点で転移や播種をきたした進行症例がしばしば見受けられる
その場合には、抗がん剤を含む全身治療が必要となるが、残念ながら今だ満足のいく成果には至っていない
これからのがん治療の飛躍は手術以外の治療法の発展にかかっている
僕は君がその一翼をになえる数少ない医師であると信じている
能力を持ったものにはそれを正しく行使する責務がある。君にはがん治療の発展に挑んでもらいたい
遠くない未来にがんによる死がこの世から無くなることを信じている
ひいては僕の屍を病理解剖ののち、君の研究材料の一石として役立ててほしい
『屍は生ける師なり』
なお、自らがん治療の第一線にあるものが早期発見できず手術不能のガン死すことを心より恥じる
財前五郎
ストレッチャーに乗せられ解剖室に向かう財前の亡骸と共ににこの遺書が語られ、その悲しみとサウンドトラックが見事に相まって涙なくして見られませんでした。
また最後のフレーズ(赤字部分)に、あえて音楽を入れていないのも、そこの部分だけ強調されて胸に刺さるものがありました。
2019年 岡田シリーズ
自らの肢体をもって、がんの早期発見ならびに進行がんの治療の一石として役立たせていただきたい。
膵臓がんは現在もなお難治性がんであるが、病態の解明がその克服の端緒につながることを信じる。
私の場合は、がんに伴う血栓症が致命的な合併症を起こしたが、逆にこれを標的として早期診断や治療につなげることも不可能ではないと愚考する。
しかし、そうした治療開発を里見先生とで自らの手で成し遂げられなかったのは痛恨であり、自らのがん治療の第一線にあるものが、早期発見できず手術不能のがんで死すことを恥じる。
浪速大学病院第一外科の名誉を傷つけてしまったことを、深くお詫び申し上げます。
里見、こうして虚しく死を待つだけになっても君と共に病に苦しむ人々を治療し、その生命を紡ぐ医師として人生を全うできたことを誇りに思う。
里見、ありがとう…
いつかまた、きっと。
あまり評価の良くなかった「岡田シリーズ」ですが、あえて言わせてもらうなら、地位や名誉ばかり追ってきたことが間違いだったと後悔している人間が、「浪速大学病院第一外科の名誉を傷つけてしまった」などと言うでしょうか。
「いつかまた、きっと」というのも、「取って付けた感」がしてなりません。
もしかして続編があるという暗示?
原作での遺書
原作では遺書という位置づけではなく、財前が解剖医の大河内教授に当てた「死屍病理解剖についての愚見」として記載されています。
その全文をご紹介します。ちなみに原作での設定は「胃がん」です。
病型について
自覚症状に乏しかった点ではボールマンⅣ型と考察されるが、癌性腹膜炎の症状が見られず、且つ下血があった点から潰瘍病変を合併したボールマンⅢ型とも考えられる。
転移について
肝実質への転移が感知されるが、急激な黄疸の起り工合よりすれば肝門部閉塞も考えられ、淋巴性転移と血行性転移の両者が思考される。
制癌剤が使用されたと推測されるが、私の癌には何らの病状の改善が見られず効果を示さなかったが、それは私の病型が本質的に感受性のない癌であるのか、それとも制癌剤を使用する時期が遅かったのか、極めて困難な検索であるが、組織的、細胞学的検索を特にお願いしたい。
以上、愚見を申し上げ、癌の早期発見並びに進行癌の外科的治療の一石として役だたせて戴きたい。
なお自ら癌治療の第一線にある者が、早期発見できず手術不能の癌で死すことを恥じる。
病理解剖の結果はボールマンⅢ型の胃がん。直接の死因は肝転移による肝門部閉塞で、財前の見立てどおりであったとされています。
「医療ドラマまにあ」としての感想
『屍は生ける師なり』
「科捜研の女」や「臨場」「法医学教室の事件ファイル」「監察医 朝顔」なども「屍の声を聞く」「屍が教えてくれる」という点では共通点がありますね。
佐々木庸平さんを死なせてしまったことを悔みながらも誰にも本音を言えなかった苦しさや、命の火が消え去る前に人間らしさを取り戻したことへの安堵感が感じられ、良い意味で人間の弱さを描いた名作だと思います。(特に唐沢Ver)
あれから約20年、がん治療の進歩は目覚ましく、財前が言い残したように外科・内科治療はもちろん最近では遺伝子治療や「がんを制圧するワクチン開発」まで行われているといいます。
その全てにおいて亡くなった方の臨床データや症例によって進歩していることを考えた時、『屍は生ける師なり』という言葉が妙に納得できるのです。